
伊達政宗像 藩政時代の慶長六年(1601年)、仙台藩主伊達政宗公が仙台に居城を定め、地名を「千代」から「仙臺(仙台)」として城下の建設を始め、農業用水、防火用水、生活用水等として開削した歴史ある用水堀です。当時は水路を活用した舟運の重要拠点ともなっており、現在も舟丁や南材木町、染色産業の南染師町等の地名を残し、地場産業の発展にも寄与してきました。
現在の取水源である愛宕堰が造られる以前は、取入口は六郷堰、七郷堰と名づけられ、四ツ谷堰を含め「仙台三堰」と称されていました。七郷堰は、木枠で組みワラで編んだ俵に土を入れたものを積み上げ、六郷堰も河底に石を敷き同様に積み上げた簡単なものでした。
復元された仙台城大手門 両堰は広瀬川の増水により度々流出し、「堰なしの堰」と呼ばれ、用水確保には大変な苦労がありました。広瀬川が水不足になれば六郷、七郷の水争いは絶えなく、鎌や鍬などを持った大勢の農民が堰に集まり、流血騒ぎになるほど深刻なものでした。
仙台市は水利を根本的に見直す計画をたて、両堰の関係者の同意を得て、「七郷堰水害復旧事業」として建設省(現在の国土交通省)の許可のもと、七郷堰の位置に新たな堰の建設に着工し、昭和29年6月に完成、愛宕堰と命名されました。