稲生川用水【青森県】

不毛の大地を都市へと変貌させた水路

この地域は、かつて「人も住めない三本木」と唄にうたわれたほどの不毛の台地でした。
 1855年(安政2年)、南部盛岡藩士 新渡戸傳と長男 十次郎、孫 七郎の三代が新田開発に着手し、1859年(安政6年)、稲生川の上水と新田開発 300ha が完成。新渡戸家三代の取組は地域農業の発展や産業開発に寄与するなど農業のみならず地域振興に大きく貢献しました。

明治時代の稲生川

 その後、稲生川とこの地域の開拓は国営事業へと引き継がれ、2度の国営事業を経て、現在では青森県を代表する穀倉地帯となりました。
 江戸時代の新渡戸開墾は、農地への用水はもちろんのこと、当初から産業開発を行う計画のなかで衛生面や防災面にも配慮し、京都の市街を模した土地利用区分となっており、今日の近代都市計画の先駆的な例として注目されています。現在もその計画を踏襲する形で市中心街の整備が行われています。